2021年02月10日

昔話(1)

先日記載した技術者層の薄さに起因して苦労した話を今日1つ,明日もう1つ.
他の会社ではどうかわからないが,ヘッド屋とインク屋はコミュニケーションがうまく行っていないことが多いのではないでしょうか.偏見もあるかもしれないが,どちらかと言えばインク屋さんのほうが自分達の世界に閉じこもりがちな傾向を感じていた.私のいた会社では,当初,お互いの拠点も遠く離れていたので,メールや電話による連絡はしていたが,顔を付き合わせ,お互いの現場で現物を見て話をすることは非常に少なかった.もちろんその後,インク屋さんも同じ拠点に集合することになるが,この話はまだそうなる前のこと.
最初に手掛けた商品は,プリントエンジン(ヘッド,インク,メンテナンス手段)の他社へのOEMであった.プリントヘッド構造は協業していたX社のヘッドをもとに私が考案し特許取得したA構造を採用することになっていた.しかし吐出滴サイズの大きい黒インクのリフィル性能を上げるため,黒インクには同僚が提案したリア抵抗の低いB構造を採用することになった.長年の研究成果として生み出したA構造はカラーインクにしか採用されず,残念であったが仕方のない選択だった.
ところがOEM先にサンプル(プリントエンジン)を渡す5か月前になり,システムテストで黒インクのみ画質上の大きな欠陥(抜け等)が発生し大問題になった.解析の結果,Face Floodingの発生であった.このシステムテストの直前,黒インクがいわゆるファストドライインクからスロードライインクの組成に変更になり,粘度が大幅に低下したのが原因であった.プリントヘッド側はインクの変更を知らされていたかどうかはもう記憶がないが,インク変更の決定の際,当然インク開発サイドで吐出安定性を確認したものと考えていたのだと思う,がそうではなかった.スロードライインクの方が,文字画質などが向上するのは間違いないが,決定にはプリントヘッドの技術者は関わらず,画質の向上という点のみでインクの変更を決めていたのだった.あまりにお粗末な話だった.急遽,Face Floodingを抑えるためB構造の(マスク変更せず製造プロセスのみで変更できる)あるパラメータを変え,流路抵抗を大きくした.その結果,Face Floodingによる大きな抜けは発生しなくなったが,小さな抜けが多発し,どうしても無くすことができなかった.シミュレーション等からリア抵抗が低いことによるバブルの後方への広がりとこれに伴うノズルからの気泡の吸い込みが原因と推定された.この仮説からリア抵抗があまり低くなく,カラーに採用したA構造で黒インクをプリントした結果,欠陥は全く起こらなかった.これより黒インクにもA構造を採用することを提案し,承認された.この時点でOEMへのサンプル出荷まで2か月半前までに迫っていたと思う.当時,プリントヘッドのチームはお互いの仕事ぶりを信頼しており,とても良いチームだった.黒インク用のヘッド構造を変えれば,10数枚のマスク変更になり通常なら3か月はかかる.1ヵ月後のバレンタインデーを目標にし,まず最低のプロセスのみ変更して黒インク用のA構造を作製し,同時にその結果がうまく行くという前提で,フルマスクを変更し2か月後のホワイトデーまでに完全な黒インク用A構造を準備する.それぞれバレンタインデー作戦,ホワイトデー作戦と命名し,ヘッドチーム一丸となって取り組んだ.
結果,作戦は成功し,予定とおりサンプルを渡すことができた.
遠い昔の話だが,自分の(技術の)周囲に枠を引き,そこだけに収まってしまうことの危険性と無意味さを強く感じた経験の1つであった.
posted by インクジェット at 16:25| Comment(0) | インクジェット

2021年02月09日

トラブルフォローとインクジェット概論

インクジェットの基礎講座(概論)の動画講座(LMS)を始めました.これまで会場で受講者を目の前に話していた内容とほぼ同じものです.参加者の顔や反応を見ながら説明を追加したり,話を脱線させる方が参加者も理解が進むと思うので,新型コロナ感染症が終息すれば今後も会場で行いたいと思いますが,新型コロナ感染症が終息した後もテレワークの機会は増えると思われるので,ぜひ,このLMSを活用して欲しいと思います.
インクジェットのセミナーでは,「プリントヘッドの高効率化」,「高速産業向けプリンタ」や「安定吐出」など,Specificなテーマでも話しますが,圧倒的にインクジェット全体をお話する概論のセミナーが多い.もともとプリントヘッドを専門としていたのに,なぜ,全体のことが理解できて話ができるのか.その1つのそして大きな要因として,私がインクジェットの研究・開発をしていた会社でのインクジェット技術者層の薄さ,数の少なさを挙げることができると思います.
具体的な数は示しませんが,私が直接インクジェットプリンタの商品開発に携わっていた時(商品開発は7年間くらい,あとは研究所でした),コンシューマー,そしてビジネス向けのプリンタを開発し販売してきましたが,開発に関わる技術者の人数はおそらくC社,SE社の1/50〜1/100くらいしかいなかったと思います.私は自社製のプリントヘッドの全ての流路設計をした,まさにプリントヘッドの技術者であり,当時,プリントヘッド開発の実質的な責任者でした.
商品開発では,様々なフェーズでシステムのテスト(評価)が行われ,トラブルが見つかればすぐに解析し,修正をします.本来ならトラブルが見つかった時点で,そのトラブルの原因となる技術の担当,責任者が詳細な原因を究明して改善活動につなげるはずです.しかし層が薄かったため,とにかく吐出がおかしい,プリントがおかしいトラブルはたとえ本当の原因は何であれ,全てプリントヘッドにまず解析の責任が回ってきました(層が薄いというのには,現象からまず原因系を推測し分類できる統括的な技術者もいなかった).
もちろん本当にプリントヘッドに起因するトラブルもありますが,インク色材のロット差が原因だったとか,ファームウエアでの駆動条件の書き間違いという,まったくプリントヘッドに責任がないものがあまりにも多った.しかし,この一次原因(プリントヘッド以外に原因があること)を解明(データで証明)しない限りは,その(解析)責任から逃れることができませんでした.
商品開発のトラブルフォローは厳しいです.例えばシステムテストのトラブル結果が夕方報告され(SSM:Sun Set Meetingと呼んでいました),夜の10時ころからトラブルフォローの会議体(PMC:Problem Management Committee)が始まり,夜中の12時ころにプリントヘッド(がまず責任を負う)トラブルに呼ばれ,そして翌日のまた夜の会議体までに最初の解析結果を報告せよ,というハードなものも何度もありました.責任を持たされたトラブルの真の原因を解明して,本来の技術担当者に引き渡さなければ,いつまでも,そして多くのトラブルフォローに時間を割かれてしまいます.
今考えるとひどい話ですがこういう状況で,関連するあらゆる技術に精通し,技術同士の関連性への理解を深めてきたからこそ,今,単に個別技術の寄せ集めではない「インクジェット技術概論」のセミナーができるのだと思います.
幸い,体もメンタルも私は壊さずに済みました.
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2021年01月26日

80kHz

京セラが新しい循環式の1200npiプリントヘッドKJ4B-EXを発表した.
駆動周波数は80kHzであり,これまでより25%向上したと記載されている.
20年くらい前までは,PIJもTIJも新しいヘッドが発表される際には駆動周波数の表記が必ずあり,トレンドを追いやすかった.その後徐々に周波数を公表しない会社が増え,また公表されたとしてもそれがドット1つを形成する液滴の吐出周波数なのか,複数の(バースト)ドロップで1つのドットを形成する際のバーストドロップの吐出周波数なのか説明されていなかった.それでも公表されたプリント解像度やプリント速度から,<コンシューマー市場向けの>PIJでも実質の1ドットを形成するための最高駆動周波数は70kHz程度だと考え,それがインク滴量の微小化が止まった状況で(リフィル速度向上が望めないので)ほとんど向上していない現状をこれまでの講演等でも説明してきた.
70kHzと80kHz,大きな違いではないかもしれない.またPIJの駆動周波数を規定する要因はリフィルだけでなく,駆動パルス波形の長さやクロストークなども現実としてあり,改善の余地はまだあったのだろう.
<産業市場向けではあるが>プレス発表には流路デザインやヘッド構造の最適化を行った結果とある.100%や50%の向上,また100kHzや150kHzではなく25%向上の80kHzなら従来からの最適化で達成可能だったのかもしれない.
今後の上限値を改めて見極める上でも,ぜひ学会で詳しく改善ポイントを発表して欲しい(特許は出願済なのだろうから).しかしこれも残念ながら京セラの学術的な発表もしばらく見ていない.
他の企業にも言えることだが学会での発表をビジネス,利益観点でしか考えられない人が多い.この領域では学会といえども大学だけでなく企業の研究・開発に依存しているところは大きく,業界や市場状況の影響を受けるのは仕方がない.各社,独自の努力のみでビジネスを伸ばしていける状況ならそれは仕方がないが,大きく流れを変えなければいけない岐路にさしかかったとき,技術ベースの議論を経た考察の共有が重要になってくるはずである.そして,その岐路はすでに多くのパスで現れてきている.
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2021年01月25日

学会活動(2)

海外のImagingをスコープとするする学会,IS&Tに1996年から所属している.
この学会はインクジェット含むNIP(Non-Impact Printing)関連のコンファレンスを1981年から開催しており,初めて参加したのは1993年の横浜開催だった.この時,発表は英語であったが日本での開催であったし,日本画像学会のコンファレンスとの共催だったということもあり[海外の学会]という意識はなかった.
1996年にSan AntonioでNIPが開催されたとき,当時の上司から「行って来い」と何故か指名され,ついでに当時共同研究をしていたX社(@Rochester)にも行って情報交換をして来いとも言われた.
初めての一人での海外出張で,月曜日から水曜日までNIPに参加し,木曜日にRochesterに移動,そして金曜日から翌週の水曜日までX社とWork Shopを行った.
NIPではその後エプソンの社長になられた碓井さん(当時は課長だった)の発表もあり,発表後に会場で碓井さん含め発表者と個別に発表内容について詳しく話をしたのを良く覚えている.セッション間のコーヒータイムが頻繁にあり,そこで海外の参加者同士が入れ替わり話し込んでいる様子は日本では見ることがない光景でとても印象的だった.
そういうこともあり,コンファレンスは発表者含む参加者とのコミュニケーションを図ることが重要で,顔を知ってもらうためにも毎年継続して参加し,自らも発表する必要があると感じ,帰国後の出張報告書にも書いた(発表内容は予稿を読めばある程度わかる).そしてすぐにIS&Tの会員となった.この考えはその後も私のコンファレンスに対する基本姿勢として持ち続けており,コンファレンスの運営に関わった際には,参加者同士のネットワーク形成を促すイベントを新たに企画・開催してきた.
ただ残念なことに出張報告書に書いた「継続参加希望」はかなわず,毎年海外のNIPに参加できるようになったのは2007年からである.この経緯もまた改めて書きたいと思う.
さて,金曜日からのX社とのWork Shopは,日本からは私ひとりで4日間にわたりTIJ Printheadに関する様々な項目についての情報交換と議論をした.これもその後,海外のパートナーとの協業を進めるうえでの自信となった.
この時の出張報告書に,『スライドやOHPでの発表に代わり,パソコン+(液晶ビューワー)での発表が増えている,特にマイクロソフトのプレゼンテーションは新鮮であった』とある.X社とのWork Shopは日本側の全ての説明を私ひとりで行ったので,100枚以上のOHPを休日出勤で作成し出張に持って行った.今では考えられないことだ.
posted by インクジェット at 15:55| Comment(0) | その他

2021年01月21日

学会活動(1)

私が学会での活動を始めた「きっかけ」の1つを書いてみる.
20代の頃からインクジェット関係の発表があるコンファレンスには,チャンスがあれば参加させてもらっていた.初めて自分で発表したのも28歳だった.
自分の判断で自由に行ける立場になった30代後半からは,今所属している国内の学会の年次大会には必ず参加していた.ただ聴講するだけではなくほとんどの発表に対し質問をしていたと思う.わからないことを聞くというより,発表内容の矛盾(論理的展開の不十分さも含め)や,成果を示すための不足分などを質問,コメントしていた.だからきっと発表者にとっては厄介な存在だったと思う.発表者が私の質問に答えられず,後から上司や関係者がわざわざ席まで説明に来てくれたことも多々あった.
コンファレンス運営の不文律として,会場から質問がない場合や質問時間が余った場合は,座長が質問をすることになっている.(2004年の年次大会だったと思う)インクジェットのセッションで座長からの質問があまりに幼稚でくだらなかったことにショックを受けた.学会の組織を良く知らなかったのだが,「この学会のインクジェット担当の組織(インクジェット技術部会)はどうなっているんだ」と呆れてしまい,それなら自分の方がもっとうまく運営できると考えた.(後で知ったのだがこの時の座長はインクジェット技術部会とは全く関係なく,インクジェットの素人だった)
会社の学会関係の伝手を頼り,インクジェット技術部会に入会希望を伝えた.偶然にもこの時,インクジェット技術部会でも研究会の講師候補として私の名前が挙がっていたようで,めでたくインクジェット技術部会委員になった.2005年のことである.
2006年の途中からインクジェット技術部会の主査になったのだが,主査になって手をつけた1つは,もちろんコンファレンスのインクジェットセッションの運営(座長等)をインクジェット技術部会が担当するようにしたことである.
なぜ,このエピソードを今書いたか.最近のテレビ等の質疑や討論で本質を突いていない質問や議論があまりに多すぎる.もちろん立場上言えない場面も多いのだろうが,本質を議論しないで,真実を明確にしないで意味のある対応ができるだろうか.そんな嘆かわしい状況があまりに多すぎると思う.
「きっかけ」のもう1つは,初めて1996年に海外のコンファレンスに参加したこと.これはまた別な機会に.
posted by インクジェット at 11:51| Comment(0) | その他